ターゲットの2003年制作デジタル作品「1924年、朝鮮咸鏡北道鏡城にて、生後百日の母を抱く」の
縮小プリントを入口左壁面に展示。

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作品「1924年、朝鮮咸鏡北道鏡城にて、生後百日の母を抱く」
(デジタル加工写真、2003年制作) について



 この作品は1998年に母が亡くなった後で母の子供時代を探るために作った「私の知らない母」という作品シリーズの中で最初に作った作品である。

 母の父は新潟県新発田の出身、1923年に東京高等師範を卒業し朝鮮咸鏡北道鏡城の高等普通学校の国語漢文教師となった。1924年3月、母はこの地で生まれた。私はこの写真を母が死んでから伯母の家で初めて見た。死んでしまった母が写真の中で生まれている、何という光景か。


 その時、私の頭の中にアインシュタインの特殊相対論の中に出てくる四次元時空が広がって、暗い時空間の向う「
1924年、朝鮮咸鏡北道鏡城」の座標にこの家族写真が見えたのだった。私は何とかしてこの写真の時空に飛び移れないかと知恵を絞って、2002年の横浜で自分の写真を撮り、当時使い始めたパソコンソフトでこの写真の中にもぐりこんだ。この方法で私は次々と母の写る写真の中にもぐりこみ、「ふたつの時間を持つ写真」として発表した。「ふたつの時間を持つ写真」は徐々に複雑化して、現在はまとめて「時空写真」と呼んでいる。

 さて、
今回の作品は、「アインシュタインのもうひとつの相対論である一般相対論の曲がった時空の考え方で、時空の彼方に浮かぶ家族写真にもぐりこむ」というもので、ターゲットとして、最初の時空写真である
1924年、朝鮮咸鏡北道鏡城にて、生後百日の母を抱く」を選んだ。

オリジナルは等身大の大画面である。